マーラーの交響曲第6番
家にあるものを色々と調べてみました。
第1版 1906年 3月~4月 エッセン初演で使用
第2版 1906年 6月 中間楽章入れ替え、終楽章の3回目のハンマー削除
第3版 1906年 7月はじめまで 中間楽章の入れ替えが元に戻される
国際マーラー協会版 1963年版(第3のハンマーなし
(1975-1977録音 カラヤン指揮ベルリンフィルのライナーノートより
カラヤンは協会版を使用))
柴田南雄氏は、少年時代に東京音楽学校のオーケストラで聴き、その時のマーラーの6番が音楽をやるきっかけになったという。
この曲の副題である「悲劇的」というよりは、むしろ絶望的音楽と感じられたその夜の演奏は、わたくしが結局、音楽の道を選ぶことになった幾つかのきっかけの、最大のものだったことは確かである。
柴田南雄著 「グスタフ・マーラー」 岩波書店 1984 p.17
著書の中で再度ふれられているし、アバド・シカゴ響のレコードの解説の中でも、1934年2月のスプリングハイム指揮の演奏は特別の感銘をもった・・と書いている。
柴田氏にとって、かなり特別な曲なようだ。
マイケル・ケネディも「最高」と言っている
これは恐らく(私としては確実に)マーラー最高の交響曲であることは、いまや明らかである
マイケル・ケネディ 「グスタフ・マーラー」芸術現代社 昭和53年 p.178
アルマ・マーラー「グスタフ・マーラー -回想と手紙- 」1949 酒田健一訳、白水社、1973
の中にも様々なエピソードがある。
アルマのテーマに関して、
"きみをある主題のなかに焼きつけておこうとしたんだがね・・・成功しているかどうかわからないが、まあ悪く思わないでくれ” とマーラーは言った。 p.85
"最後の練習! 巨大な運命の打撃が三度とどろく終楽章!この曲ほどその試演のときから彼の心を激しくゆさぶったものはない。総練習のときのあと、マーラーは控室を歩きまわり、むせび泣き、両手をもみしぼり、わきあがる感動を抑えかねていた。”p.118
”マーラーがなぜ最初の一撃をもっとも強く、二度目はそれより弱く、そして三度目、すなわた英雄の死を告げる最後の一撃をもっとも弱く打たせたのか、この交響曲を少しでも理解した人ならだれにでもわかるはずだ。強弱の関係を逆にしたほうが当座の効果はあがっただろうと思う。しかし彼にとって効果など問題ではなかったのだ。”p.119
"終楽章では、彼自身とその破滅を、あるいは彼がのちに語ったところによれば、彼の英雄の破滅を描写しようとした。「運命の打撃を三たび受ける英雄だ。そしてその最後の一撃が木を切り倒すように彼を倒す。」これがマーラーの最後の言葉だった。"
いわくつきの第3のハンマー。
マーラー自身も初演の際に感極まる自分を抑えるのに必死だったらしい。
あまりにも悲劇的なので、縁起をかついで第3のハンマーをはずしたり・・・。
私にとっても、第6番は「特別な曲」である。