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第五福竜丸と「生きものの記録」    
NHK「その時歴史が動いた」 2月18日 第351回
3000万の署名 大国を揺るがす
〜第五福竜丸が伝えた核の恐怖〜

当時の世相を知るには、最適な番組だった。
広島、長崎に続いて、日本人が遭遇した原水爆の悲劇、第五福竜丸。

食卓から魚が消え、雨さえも放射能に汚染され、日々の生活が脅かされたとき、
全国各地で原水爆禁止の署名活動が起こり、それを支えていたのは、
組織化されていない女性層だった・・・という内容で番組は展開された。

最近観た黒澤監督作品で、早坂文雄の音楽が遺作となった
「生きものの記録」(1955)の背景がよくわかった。

1954年の第五福竜丸の記憶は、風化させてはならないのだ。 

都立第五福竜丸展示館に船体が保存されている。
http://d5f.org/

「生きものの記録」の原点は早坂文雄の言葉だった。

「『七人の侍』をやっていた時だな、早坂のところへ行ったら急に『こう生命をおびやかされちゃ、仕事は出来ないねえ』と早坂が言い出したんだ。早坂は、実はたいへんな病弱でいつも死に直面しているような体だったし、気持ちのほうもたえず死をじいっとみつめてるような人だったのだよ。その彼がビキニの爆発のニュースを聞いて、こういうことを言う。僕はドキっとしたね。次に会った時、僕、おい、あれをやるぜ、と言ったら、早坂はたいへんなことだよ、と驚いていた。『生きものの記録』はそのときに始まったんです。(『映画旬刊』(1956年新年特別号。)
 ある意味で、この作品は黒澤の早坂に対する友情の証だった。盟友・早坂のために黒澤はこの映画を作ろうとしたのではないか、とさえ思わせる。早坂の死後、遺されたデッサンからスコアを起こし、録音からダビングまでを引き継いで音楽を完成させたのが、早坂の愛弟子佐藤勝である。
日本の映画音楽の巨星たちⅠ p.60
早坂文雄は、「生きものの記録」の完成前に41歳で病死。
その後の黒沢映画の作風の変化にも、早坂文雄の死は大きく関係していることから、
早坂文雄は単なる作曲家というばかりではなく、監督とのコラボレーションによって、
映画作品そのものを生み出す原動力になっていた。

「生きものの記録」は、当時35歳の三船敏郎が70歳の老人を演じている。
三船が演じる中島喜一は核兵器の脅威から逃れるためと称してブラジルへの移住を計画する。
核への恐怖感が誇張されているように感じるが、当時の日本人ならば、少なからず心のどこかにそうした感情を持っていたのではないか・・


という気がする。
by yoyogi39 | 2009-02-19 23:31 | ARTよもやま
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